6 源氏、左大臣家の人が訪れたので飲みかわし、琴を弾く
ちょうど源氏が車に乗ろうとするころに、左大臣1家から、どこへ行くともなく源氏が京を出かけて行ったので、その迎えとして家司の人々や、子息たちなどがおおぜい出て来た。頭中将2、左中弁3またそのほかの公達もいっしょに来たのである。
「こうした御旅行などにはぜひお供をしようと思っていますのに、お知らせがなくて」
などと恨んで、
「美しい花の下で遊ぶ時間が許されないですぐにお帰りのお供をするのは惜しくてならないことですね」
とも言っていた。岩の横の青い苔の上に新しく来た公達は並んで、また酒盛りが始められたのである。前に流れた滝も情趣のある場所だった。頭中将は懐に入れてきた笛を出して吹き澄ましていた。弁は扇拍子4をとって、「葛城の寺5の前なるや、豊浦の寺6の西なるや」という歌を歌っていた。この人たちは決して平凡な若い人ではないが、悩ましそうに岩へよりかかっている源氏の美に比べてよい人はだれもなかった。いつも篳篥7を吹く役にあたる随身がそれを吹き、またわざわざ笙8の笛を持ち込んで来た風流好きもあった。僧都が自身で琴を運んで来て、
橿原神宮前駅。これは中央口。和田廃寺や向原寺は東口から出てまっすぐ進んだところにある。
「これをただちょっとだけでもお弾きくだすって、それによって山の鳥に音楽の何であるかを知らせてやっていただきたい」
こう熱望するので、
「私はまだ病気に疲れていますが」
と言いながらも、源氏が快く少し弾いたのを最後として皆帰って行った。名残惜しく思って山の僧俗は皆涙をこぼした。家の中では年を取った尼君主従がまだ源氏のような人に出逢ったことのない人たちばかりで、その天才的な琴の音をも現実の世のものでないと評し合った。僧都も、
「何の約束事でこんな末世にお生まれになって人としてのうるさい束縛や干渉をお受けにならなければならないかと思ってみると悲しくてならない」
と源氏の君のことを言って涙をぬぐっていた。兵部卿の宮の姫君9は子供心に美しい人であると思って、
「宮様よりも御様子がごりっぱね」
などとほめていた。
「ではあの方のお子様におなりなさいまし」
と女房が言うとうなずいて、そうなってもよいと思う顔をしていた。それからは人形遊びをしても絵をかいても源氏の君というのをこしらえて、それにはきれいな着物を着せて大事がった。
源氏の舅。源氏の権力の後ろ盾になっている。政敵は右大臣で、弘徽殿の女御は右大臣の娘。弘徽殿の女御の息子が朱雀帝。↩︎
左大臣の子息で源氏の友人。官職で呼ばれるため、物語が進むと呼び名が変わる。最終盤には源氏の権力争いの相手になるが、あまりドロドロしたことにはならない。↩︎
左大臣の子息の一人。物語中であまり言及されることがない人物。↩︎
おうぎびょうし。扇子を叩いて拍子をとること。落語家とかが扇子で大き目の音を出しているのが現代では典型的な例。↩︎
蘇我稲目(蘇我馬子の父)が奈良県明日香村に建立した寺社(現:向原寺)。11世紀まで存続していたのかはよくわからない。和田廃寺の前で向原寺の西は、近鉄橿原神宮前駅の東側だと思う。今は住宅地になっている。↩︎
これも紫の上のこと。この段だけでも呼び名が変わり、わかりにくい。↩︎